着々と村上春樹を読んでいます。
なんで昔はキライだったのに、今は心地よく読めるようになるんだろう。
感じ方が変わったのか、考え方が変わったのか。
そこまで大きな変化が歩きはしないんだけど。
まあでも味覚も変わったから、気がつかないうちに変わっていくんだ。
どうやら僕は、牛河的な存在が好きみたいだ。
カフカでいうところの、中野さん的な存在。
はじめは得体の知れない、不気味なところがあったけれど、
だんだん人間味が溢れる感じになっていって、
人間くささが出て、それがいい。
NHKの集金人の比喩が味があってよかった。
ときに、自分の領域に入り込んでくる侵入者として、
ときに、外界と心的世界をつなぐものとして、
ときに、生死の境を決める悪魔として、
それぞれの比喩において、電波法の根拠とお金を払うべき債務を
論理的に述べながら、他の人に「わざと」聞こえるように、罵る。
なかなかドアは開かない。開けられない。それを職業としていた父親。
結局、リトルピープルがいったい何だったのかが、よく分かりませんでした。
まあでも、「説明しなくてはわからないことは、説明してもわからない」からね。