芸術はすでにそこに存在している

「・・・よく父が言っていた、良いトンネルは人間が掘ったものじゃなくて、
ずっと前からそこにあったように見える、ボクはそういう音楽を作りたかった、
わかりやすいのはモーツァルトだよね、それも二十番から二十七番までの
ピアノ・コンチェルトだ、余分なものも、不足もない、別にモーツァルトが作ったわけ
じゃなくて、ただモーツァルトはどこからか探してきただけと言う感じがする、ピアノを
始めてすぐにモーツァルトを聞いて、こんなものがあるんならもういいじゃないかと
思ったんだ、誰だって思うはずだ、こういうものがあるのになんで新しく作る必要が
あるんだろうって絶望しない音楽家がいたらそれは恥知らずだ、完璧と言う概念を
音楽にしたようなものだからね、・・・
・・・組み合わせなんだ、と、とてもわかりやすいね、ボクも同感だ、・・・
・・・そうやって、あるときがやってくる、信じられない瞬間だ、まるでそれまで
波一つ立たなかった静かな湖から恐竜が現れるように、音楽が出現する、
つくりあげるとかできあがるのではないんだ、あとはマシンになって形を与えて
あげるだけでいい、すごいのはその出現の瞬間だけだ、・・・
・・・いい勝負かもしれないな、戦争と」

五分後の世界
村上 龍
幻冬舎
1997/04
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なし (Amazonポイント)
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文庫

(価格・在庫状況は7月23日 12:48現在)


以前に、ミケランジェロの逸話だったと思うのですが、かなり近いものがあります。


その瞬間はドーパミンとか脳内物質とかでまくりで、おそらくかなりトランス状態に
近いのでしょう。芸術と一体化している瞬間。そのとき自身の精神と造形は不可分な状態で、
「取り出す」という単純な機械的作業をするに過ぎない。恐ろしいほどの快感。
ミケランジェロが半身の自身の像を彫ったことがあって、ある美術館には
その完成形と共に、途中で失敗した作品も順番に並んでいるらしい。
普通、凡人は彫刻を彫るとき、全体のバランスをとって周りを
削り取っていくように彫る。自分でもそうすると思う。
しかし、ミケランジェロの失敗作たちは四方の一部分が
かなり掘り込まれていて、完成度が高いのに、他の部分は
まったく手付かずだったという。
「私はすでにそこにあるものを石から掘り出しているだけなのだ。」
といったと言う。