昨年(2023年)、人生初めての入院、手術というものを体験した。これはその顛末を記す手記である。
初夏の候、母親に不動産投資を勧めていて良い物件が出たので同行するために帰富していた。せっかくだからというので、旧友と繁華街に飲みに行った帰りのこと。富山の旨い鮨を食し、帰りのタクシーに乗り込んだところタバコ(iQOS)がないのに気づく。富山のタクシーは東京のそれと比べてとても煙草臭い。喫煙者あるあるかもしれないが、タバコを吸うくせにタバコ臭いのはきらいなのだ。そのため、早く自分の煙草を吸いたい気持ちと早くタクシーを降りたい気持ちが相まって、自宅から1.5kmほど離れたコンビニで降ろしてもらった。OK、これで煙草を購入し、吸いながら歩いて帰れば良い(外で煙草を吸ってはいけない条例はない)。
初夏の割に、非常にあたりが暗い。深夜であるから、ということはもちろんだが、(今考えれば)圧倒的に街灯が少ない。酩酊状態にあったとは思うのだけど、足元が全く見えずに不覚にも側溝に足を滑らせて激しく転倒し、頭部を強打してしまった。あ、、、やべ、、、くらいの記憶でブラックアウトした。
次に意識が戻ったのは、救急車の中であった。外はすでに明るい。トランク(?というのか分からないが後ろ側)から、両親が心配そうに乗り込んできて、え?どうしたの?と思ったことを覚えている。この時点では何が起こったかは全く知覚できていない。その後、救急の方々(色々ありがとうございました)が処置してくれて、警察が1人来て、警察がやたらと事件性の有無について聞いてくるので、自分が自分でコケただけなので警察は要らないと結構強めの言葉で追い返した。元より警察、及びその行動原理を好まない。そのまま、大きめの病院に搬送され、CTやレントゲンやMRI(とったか怪しい)を実施した結果、骨や頭部には異常はなさそうだということで、病院を後にしたのが朝8:30くらいだった。
それからは、顔面に派手に切傷はあれど特に身体に支障はないから普通の生活を送っていた。しかし、2週間くらい経った後、軽い頭痛が始まったのである。
初めは、少し頭が痛いな、くらいのものだった。それも日常生活のうち、限られた時間だったのだけど、徐々に慢性的に頭痛がひどくなり、ついには長い文章が読めない(具体的にwebに書かれている2行に渡る文が読めない)ことや、頭痛により寝ることができない状態になっていった。例えて使っていたのは、孫悟空が三蔵法師に悪いことをすると締め付けられる頭の輪っかがついてるような、頭部全体が圧迫して締め付けられるような感じである。寝ることができたと感じる時間は9時間横になって、30分くらいだと思う。寝れないというのは辛い。神経過敏な状態で翌日さらに強くなっていく頭痛と向き合うことになる。そんな日を繰り返し、先月の転倒を思い出す。病院で診察したものの、あのときの転倒が頭部に異常をもたらした可能性はある。この時点で、通常の仕事はできなくなっていた。
初診で診てもらった富山の病院に電話する。あの時問題ないということでしたが、今は頭痛がひどいんです。
担当医ではなかったが、当番の方が答えてくれる。当時は問題ないという判断ですが、症状があるのであれば病院にかかってください。
急いで、病院を探した。「江東区 頭痛」で検索。上位に来ていて、しっかりしてそう、近いところに駆け込んだところ、うちには診断できる器具、機械はないのでおととい来やがれ他の病院を紹介します。近くの高度病院を紹介してもらったが、この時点でかなり頭痛はひどく、疲弊していた。今、NOW、超絶頭痛がひどいのに病院を紹介してもらい、頑張って予約して、明日診てもらうこの状況、心境としてはとても辛かった。(後で、本当に後々に聞いたら、この時点で救急で行っていれば受け入れてくれたらしい)すでに藁をもすがる思いで、良くなるのなら、何でもする覚悟だった。
翌日、高度病院の脳神経外科の予約に参じた。初診なので、CT等で時間がかかったが、診断は硬膜下血腫だった。硬膜の下で出血していて、脳部分を圧迫するために頭痛が生じる。自分のケースは頭部両側だったが、特に左のほうが酷かった。担当医いわく、あまり若い人はならないが、激しく頭部をぶつけたり、大酒飲みはなる傾向があるらしい。そのとおりだと思った。対処として、投薬(漢方的なやつ&痛み止め)を処方された。通常、脳内の出血は次第に体内に吸収されるもので(若い場合)、出血部分の治癒が自然とできれば自ずと収まっていくとのこと。原因が分かったことと、薬での対処が可能なことを知って喜んだ。クスリで次第に収まっていくのなら、こんなに良いことはない。
しかし、ことはそれほどうまく進まなかった。クスリが効かない訳ではないのだろうが、頭痛は収まること無く、継続し、場合によってはひどくなっていった。この時点で転倒から1ヶ月、子どもたちは夏休みに入っていた。
どのご家庭にもあるように、我が家にも夏休みの予定があった。義両親との鴨川旅行と実家への帰省。今でも覚えているのは、鴨川旅行中に、自分の両膝が笑い始め、右手上腕から腕、手までが震え始めたことだ。立っていられない状態。右側の腕、手先のコントロールが効かない。ここまでまずい状態か、と自覚した。しかし、自分以外は楽しい旅行。精一杯取り繕って、申し訳なかったが、別行動してのりきった。一人のほうが迷惑をかけないから気楽だった。このあたりで、少し死を感じた。
次の診察の際に違う処置を希望した。クスリでは今の辛さは解消できない。別の処置である開頭ドレナージ手術で、脳内の滞留している出血を頭部から排出する。もう生活的にも身体的にも精神的にも耐えられない状況だった。とにかく快方に向かいたい。これしか無いと考え、診察のときに準備をして明日から入院すると明言し、手術の手配をしてもらった。手術、入院、その間のごたごたもあったけど、手術後は頭痛も沈静化し、血腫は排出された。
退院後2週間の診察で、まだ血腫が残っていると言われた際は、不覚にも笑ってしまった。あれだけ、あの覚悟で行った手術でもretakeがあるんですね!再発の可能性は事前に聞いていたけれども、この辛さをもう1タームやることになるとは想像していなかった。軽い絶望と、軽い希望の気持ちで、過ごしていたら2週間ほどで徐々に血腫は小さくなり、問題ないレベルまで収まっていった。幸いである。今はなんともない。
そんなこんなで、今日を生きている。生きている実感が前よりあるかと言われると、全く変わらないんだけど、不調になった際にカバーしてくれていた人たち、仕事、友人、家族を考えると頭が下がる。後日談だが、転倒時7万円くらい財布に入っていたはずなのに、後から考えるとすっかりお札だけ無くなっていた。警察の方、本当にごめんなさい。事件だった気がしてなりません。自分で転倒したのは本当ですが、その後窃盗があった可能性は否めない。
関係諸氏もくれぐれもお体にはお気をつけなさるよう。